“エッ?こんなものも!?” ・・・ ココにしかないモノが、ココにはある。

2006年 の記事

“ルール”は絶対か?それともあくまで手段なのか?―根本の立場が違えば議論にはならない

革命的非モテ同盟 - 現場主義は法を破壊する

出張やらその他の仕事やらでブログ更新できない間にまた革命的非モテ同盟furukatsuサンからコメントが。

こういう事を書くのもいいけど、本当は非モテ理論について書きたい。

ってことだったんでてっきり収束希望かと思ってたんですが、違ったみたい。お待たせしてすみませんね。

でもせっかくエントリ起こして再反論、というわりにはやっぱり内容的に全然深化がみられないのがかえすがえす残念。理屈はどうあれ結局は「決まりなんだから守らなきゃいけない」ってところから一歩も出てないでしょ。その角度で斬り込むかぎり少なくとも私の心には響かないし、きっかけのエントリを起こされた覚悟サンにも、それをとりあげたkanoseさんにも響かないと思うんですよね。「逃げるなよ」とか言われてもこれでは・・・。

問題の場面では“ルールの破綻は既に明白”で、“ルールを破らずには目的を果たすこと(この場合は人命救助)が出来ない”ことは確定してるわけですよ。
だからと言っても“悪法も法”なわけで、使命遂行は即ち自らへの処罰を意味する。その自らへの不利益をおしてまで他者を救おうとする人たちをどう評価するか。そこが問われているわけで。

furukatsuサン自身も認めるように“自分や自分の属する集団の利益といった事を鑑みれば「見殺しにすべきではない」”というのが一般の認識でしょう。でも現状のルールはそれを許さないわけですよ。で、現状に合わなくてもルールがそうなっている以上従うべきだ(この場合は見殺しにすべき)というのがfurukatsuサンの主張。

でもルールってもともとなんのためにあるんでしょうね。私の認識ではそれは“自分や自分の属する集団の利益”のためなんですよ。そして件の海自幹部を支持する人たちの認識も多分同じ。統計をとったわけじゃないですが、問題の事例に限って言えば国民の過半数は支持に回るんじゃないでしょうか。あくまでも“自分や自分の属する集団の利益”を守る行動なわけですからね。

だからと言って無条件にルール違反が許されるわけでも支持されるわけでもないのは当然のこと。現場の人間がそれは一番わかってる。furukatsuサンは「それを煽った人間の責任はどうか」などと私からすればかなり奇妙な言い回しをされてますが、その程度の「煽り」で必要もないのに自分と家族、ともすれば部下の生活まで犠牲にしかねない決断をする人などいませんよ。それなりに責任のあるポジションについた経験のある人にとってはこれは自明のこと。わざわざ言うまでもない。

それに、一つ前のエントリで取り上げた教育現場にしても他の現場にしても、自分自身のことになると「ルール上ムリ」という理由で本来期待される役割まで回避する「賢い」人が圧倒的に多いのが現状です。だからこそ、使命のためなら自らの不利益をおしてでも行動する「馬鹿」が、少なくともそれで救われる人にとっては貴重なわけで。煽りがどうのとかいう心配は無用でしょ。

もっとも「実際に襲撃を受けるという想定は無意味」などというfurukatsuサンが私の考えに納得するなんて私自身思ってませんけどね。このお話は、私の「“人命よりも規則が優先。たとえ民間人が攻撃を受けていても自衛隊は見殺しにすべき”か?」という問いかけにfurukatsuサンが「見殺しにしなければならない」と答えた時点で本当は終わってるんです。

ルールと現状が噛み合わない場合にどちらを優先すべきか。根本的な価値観が異なるわけですから議論など成り立ちませんよ。お互いに向かうべき目標が違うわけですからね。

でも、それでいいんじゃないですか?
多様な価値観が存在してこその民主社会ですから、別に統一する必要なんてありませんしね。それにfurukatsuサンにしても私にしても、いくら激論したところでその声が国政を左右するなんてことはありえないわけですし。

コメント (1)

親も学校も信じられない » そして子供たちは逝く

「500円貸して利子2万円」同級生が金銭要求、学校は把握 いじめ自殺の埼玉中3男子 [イザ! by 産経新聞社]
 [関連] 精神年齢が3段階目以上の人は、自殺をする資格がある [分裂勘違い君劇場]
 [関連] 新しい時代の道徳はどのようにして生まれるのか [分裂勘違い君劇場]
 [関連] 人権を失ったまま生き続けても、そんな命に意味はない。 [アンカテ(Uncategorizable Blog)]

最後の出口貸してもいない金にそこらのヤミ金以上の“金利”を吹っかけていた同級生にも、そして6~8日にかけて相談を受けながら実質的に何もしていなかった学校にも責められるべきところはあるでしょう。でも本件に限らず一連のいじめ自殺の問題に共通するのが、子供たちが自分を取り囲む世界に抱いていた“絶望”。

この子も6日に派遣相談員に相談を持ちかけた時点で、かなり限界まで追い詰められていたことは容易に想像できます。ほとんど最後の頼みの綱といってもいいのではないでしょうか。そうでなければこの年代の子がわざわざ他人に相談なんて持ちかけるようなことはありませんしね。

相談を持ちかけた相手が学校の教師でなく県派遣の相談員だったところも意味深。なぜ学校側の人じゃなかったのか。学校に相談してもどうせ何も変わらない――そう考えていたのでは?

生徒は母親にも11日、金を要求されていると打ち明けたが、「先生に話しているので大丈夫」と話し、思い詰めた様子ではなかったという。

そしておそらくこれが最後のサイン。こういうことを打ち明けること自体が既に非常事態。パッと見「思い詰めた様子」ではないからこそ危険なわけで。というより、目に見えて“思い詰めた様子”を表現できる子なら、そこまで追い詰められることもないんですよね。

多分事件が表面化した6日の相談以前から、何度も何度もSOSのサインは出ていたんだと思う。ただそれが周囲に判り難かっただけの話で。
下手に騒いだらかえって酷い目に遭わされるのでは―といった懸念もあったでしょう。実際よほど根本的な対策が行われない限り後に手酷く報復を受ける危険は想像に難くないわけで、そうそう簡単に訴えを起こせるはずもない。よほど考えの回らない子でなければそれくらいは容易に想像が付く。それを押して相談を持ちかけたということは、かなり危機的な状況だったはずです。

ところがその結果は―日付を追えばわかるように(おそらくこの子が想像した最悪のパターン通りの)のらりくらりとした対応。相談の翌7日には報告が入っている(放課後の相談だったことを考えるとこれは合格点)のに確認の面談はさらに翌8日、そしてこの子が死亡した12日の時点でも“金を要求したとされる生徒からも話を聞く予定だった”―つまり何もしてなかったわけで、明らかにやる気なし。この間も理不尽な取立ては続いていたんでしょうからこれはじゅうぶん失望に値する。

そして最後の願いを込めて打ち明けた親も期待した反応はしてくれなかった。その母親自身が「思い詰めた様子ではなかった」程度にしか感じてなかったわけですしね。

そして理不尽な要求に責めさいなまれる日々のなかに一人取り残されてしまった彼。
「生きていればきっといい日が来るから、自殺なんてやめて頑張ろう!」なんて言ったところで、彼の心には決して届かないでしょう。

もちろん彼の側に問題が全くなかったわけではないでしょう。心が弱すぎると言われればその通り。それにどうにかしてうまく切り抜けられるやり方があったかもしれない。でも少なくとも彼にとって、そんな苦労をしてまで生きているだけの価値はこの世界にはなかった。そして彼はもう戻らない。

これからも「苦労してまで生きてる価値ないよ、こんな世の中」と考える子供たちは出てくるでしょう。そして彼らは次々と逝く。決して彼らを助けてくれなかった世の中に彼らが未練を感じることはありません。

彼らが「それでも生きていたい」と思える世の中にならない限り。

コメント (2)

殺されそうになってる人にとっては“助かるかどうか”が最重要。“誰の責任か”など問題ではない

革命的非モテ同盟 - 見殺しにしなければならない

撃たれる!先日の記事に革命的非モテ同盟のfurukatsuさんより直々の反論。ただ反論の中身が前回時点から一歩も出ていないところが少々残念。というより全然反論になってないと思うんですが。

前回の記事、実際かなり煽りを入れてますがfurukatsuさんの考え方は基本的に理解しているつもりです。それは記事中にも盛り込んであるはず。文民統制を守るべきだという主張そのものを全否定しているわけではありませんよね。

そもそもきっかけになった覚悟さんの記事でも

これらの思想は「馬鹿」以外の何者でもない。

とバッサリ斬っているわけで、ルール違反を全面肯定しているわけではないことは(脊髄反射せずに)少し読めばすぐにわかるはず。そういう“わかってる人”に対して「ルール違反などけしからん!」などと今更なことを言ってもお話にならないわけで。

問題はそれこそkanoseさんの指摘通り、「馬鹿」が命を投げ捨てなければ現実的な対応が出来ない現状にある。だからこそ現場が独断で「馬鹿なこと」をしなくても済むようなルール作りのための議論が必要なわけで、それが前回の記事の要旨です。「誰の責任か」ということであれば、汚れ仕事は現場に押し付けて議論を先送りにしてきた連中が責めを負うべきでしょう。

*

ですが目の前に銃口を突きつけられてる人にとってそんなことは実にどうでもいい話。自分が見殺しにされる理由がどこにあって誰のせいかなんてことよりも「何でもいいから、とにかく誰か助けてくれ!」ってのが本音でしょう。

furukatsuさんが乗り合わせた船が外国船に襲われた――機関銃の掃射を受けて船内は大パニック。ちょっと先には護衛艦らしき艦影があるけど一向に動く気配がない。そのうち船内にも銃弾が飛びこむ。飛び散る血飛沫、泣き叫ぶ女子供の声。当然あがる「あそこにいる自衛隊は何をしているんだ!」の声。
――ここでfurukatsuさんの冷静なひと言、「私たちが襲われたからって命令もないのに自衛隊は動くべきではないんです。私たちは見殺しにされるべきなんです。」――

この意見、確かに正論です。でもどれくらいの人に支持されるでしょう?

結局現状では彼らを救えるのは「処罰覚悟で助けに行く馬鹿」だけです。ですが、彼らを「馬鹿」のまま放置しておいていいんでしょうか。その職責に恥じない行動が出来るようにするためのルール作りは不要ですか?

私は現場に責任をなすりつけようとしているのではないし、それはむしろ命令と法への違反を推奨している連中。

えー、最初のエントリであなたは「処罰覚悟で助けに行く」と発言した現場士官を“危険思想の海自バ幹部”と非難してるわけですが、それでも「現場に責任をなすりつけようとしているのではない」んですか?どうみても現場批判なんですけど。

でもって結局私が前回指摘した「戦前に逆戻りするような規則違反は許されない。見殺しにすべき」というポジションが変わらないのであれば、わざわざ反論する必要はありませんよね。人命よりもルールが優先されると本気で思っているならば、反論どころかむしろ誇りを持って「その通りだ」と肯定すべきでしょう。

私思うんですけど、furukatsuさん、内心後悔してません?
kanoseさんところで反論受けたときの反応を見ても、私の前回のエントリに対するブクマコメントを見ても、今回の反論エントリをアップされるまでの時間とその内容を考えても、心から「見殺しにすべき」だと考えているとは思えないんですよね。

本当に「見殺しにすべき」だと思ってます?

コメント (2)