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親も学校も信じられない » そして子供たちは逝く

「500円貸して利子2万円」同級生が金銭要求、学校は把握 いじめ自殺の埼玉中3男子 [イザ! by 産経新聞社]
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最後の出口貸してもいない金にそこらのヤミ金以上の“金利”を吹っかけていた同級生にも、そして6~8日にかけて相談を受けながら実質的に何もしていなかった学校にも責められるべきところはあるでしょう。でも本件に限らず一連のいじめ自殺の問題に共通するのが、子供たちが自分を取り囲む世界に抱いていた“絶望”。

この子も6日に派遣相談員に相談を持ちかけた時点で、かなり限界まで追い詰められていたことは容易に想像できます。ほとんど最後の頼みの綱といってもいいのではないでしょうか。そうでなければこの年代の子がわざわざ他人に相談なんて持ちかけるようなことはありませんしね。

相談を持ちかけた相手が学校の教師でなく県派遣の相談員だったところも意味深。なぜ学校側の人じゃなかったのか。学校に相談してもどうせ何も変わらない――そう考えていたのでは?

生徒は母親にも11日、金を要求されていると打ち明けたが、「先生に話しているので大丈夫」と話し、思い詰めた様子ではなかったという。

そしておそらくこれが最後のサイン。こういうことを打ち明けること自体が既に非常事態。パッと見「思い詰めた様子」ではないからこそ危険なわけで。というより、目に見えて“思い詰めた様子”を表現できる子なら、そこまで追い詰められることもないんですよね。

多分事件が表面化した6日の相談以前から、何度も何度もSOSのサインは出ていたんだと思う。ただそれが周囲に判り難かっただけの話で。
下手に騒いだらかえって酷い目に遭わされるのでは―といった懸念もあったでしょう。実際よほど根本的な対策が行われない限り後に手酷く報復を受ける危険は想像に難くないわけで、そうそう簡単に訴えを起こせるはずもない。よほど考えの回らない子でなければそれくらいは容易に想像が付く。それを押して相談を持ちかけたということは、かなり危機的な状況だったはずです。

ところがその結果は―日付を追えばわかるように(おそらくこの子が想像した最悪のパターン通りの)のらりくらりとした対応。相談の翌7日には報告が入っている(放課後の相談だったことを考えるとこれは合格点)のに確認の面談はさらに翌8日、そしてこの子が死亡した12日の時点でも“金を要求したとされる生徒からも話を聞く予定だった”―つまり何もしてなかったわけで、明らかにやる気なし。この間も理不尽な取立ては続いていたんでしょうからこれはじゅうぶん失望に値する。

そして最後の願いを込めて打ち明けた親も期待した反応はしてくれなかった。その母親自身が「思い詰めた様子ではなかった」程度にしか感じてなかったわけですしね。

そして理不尽な要求に責めさいなまれる日々のなかに一人取り残されてしまった彼。
「生きていればきっといい日が来るから、自殺なんてやめて頑張ろう!」なんて言ったところで、彼の心には決して届かないでしょう。

もちろん彼の側に問題が全くなかったわけではないでしょう。心が弱すぎると言われればその通り。それにどうにかしてうまく切り抜けられるやり方があったかもしれない。でも少なくとも彼にとって、そんな苦労をしてまで生きているだけの価値はこの世界にはなかった。そして彼はもう戻らない。

これからも「苦労してまで生きてる価値ないよ、こんな世の中」と考える子供たちは出てくるでしょう。そして彼らは次々と逝く。決して彼らを助けてくれなかった世の中に彼らが未練を感じることはありません。

彼らが「それでも生きていたい」と思える世の中にならない限り。

コメント (2) »

  1. Y+Y=M.H said,

    9:45:13, 2006/11/15

    こんにちは、はじめまして。

    突然コメントして失礼しますm(_ _)m

    この記事に関して、途中までものすごく同意でしたが、最後のほうだけ。

    自殺した子もきっと明るい未来に希望は抱いていたはずだし、最後まで死にたくなんかなかったと思います。
    世の中に価値を見出せなかった訳でもないと思います。
    ただただ、希望を覆い尽くす程の強大な絶望、それに打ちひしがれてしまっただけ。

    死にたくないし未来への希望もある。
    でも、未来へ続く今の茨の道をこれ以上歩けなくなったのだと。
    何度も希望を胸に思いとどまったのだと思います。

    心が弱かった、というよりも心は普通の人と同じだけの強さはあったでしょう。
    でも、いじめは常人の心では耐えられないほど残酷なものだったのだと思います。

    私は常人の心しか持ちえませんが、何とか未来への希望を胸に、
    思いとどまる程度のいじめで済みましたから。

    未来への希望といっても何になりたいとかどうしていたいとかではなく、
    いつかこのいじめが終わる時が来る、というホントささやかなものでした。

    そして今は就職もして結婚もして幸せな日々を暮らしています。

    いじめられている子どもたちは死ぬべきではない。
    いじめられている現状をこれでもかという程掘り下げて欲しいです。
    私はなぜ自分がこのような状況におちいったか考えていました。
    復讐も自殺も。

    でも、全部思いとどまりました。
    いじめの程度が自殺した子より弱かったのだと思います。

    私よりもひどいいじめにあっている子はたくさんいるでしょう。
    そんな子に耐えることができる程度であった私が言うのも何ですが、
    それでも死なずにいて欲しい。

    いつか私のように幸せを手にする日が来ると信じています。

  2. たかしま(管理人) said,

    9:46:40, 2006/11/16

    コメントありがとうございます。
    「いじめ」を克服された方のご意見は貴重です。全然失礼なんかじゃありませんよ。

    最後の方、すこしわかりにくかったでしょうかね。

    自殺した子もきっと明るい未来に希望は抱いていたはずだし、最後まで死にたくなんかなかったと思います。
    世の中に価値を見出せなかった訳でもないと思います。

    私も最初から絶望している子なんていないと思いますよ。誰もが希望は抱いていたはずで、この子だって最初から死にたかったわけじゃない。もしそうなら何度もSOSのサインなど出してないわけで。その彼に最終的に死を決意させたのは何か。――そして残された私たちに出来ることは何なのか。そこのところを考えて欲しいってのが、今回の趣旨です。別に自殺を推奨しているわけではありません。

    ですが、今のような状況が続くならこれからも自殺を選ぶ子供は続くだろうというのは本気でそう思ってます。まわりがどんなに「死ぬな」などと言ってもどうにもなりません。それをどうにかしたいなら周囲の側が「おとぎ話の世界」から抜け出して、本気で対策を考えないといけないだろう、ということも言いたかった。

    それでも死なずにいて欲しい。
    いつか私のように幸せを手にする日が来ると信じています。

    もちろん彼らだって好んで死にたいわけじゃないはず。ですから状況が改善されればそれが一番いいんでしょうけど、残念ながら「信じる」だけではいじめの状況が改善されるわけでもないし、子供たちの自殺を止めることはできないんじゃないでしょうか。

    「心が弱い」云々のくだりは「いじめられる方が悪い」という論調があることを意識してのもの。その後も埼玉県知事の「死ぬ勇気あれば戦えばいい」発言など、特にある程度以上の地位を得た人の間にこういう論調が強いわけですが、おそらく彼らは今回のようなケースの実態を知らないのでしょう。

    彼らの世代の「いじめ」と現在の「いじめ」とはその内容が全く異なります。今回のケースはもう完全に「恐喝」。その他最近のいじめ関連の事件では「強盗」だったり「暴行傷害」だったりと、犯罪行為のオンパレード。古き良き時代のことばのイメージだけで判断するから、そういうズレた発言が出てくるわけです。もちろんファイティングスピリットで解決するケースもあるでしょう。でもそれだけじゃどうにもならないケースも確実にあるわけで。

    ところが世の中には「子供がそんな凶悪な犯罪を犯すはずがない」という“おとぎ話”から抜け出せない人もいるわけですよ。「子供たちを犯罪者扱いするな!」という声も根強い。実態が凶悪な犯罪行為であるにも関わらず「いじめ」などというコトバで誤魔化されている現状がそれを明瞭に物語ってる。

    教員の中にも、本気で対策を考えてる人もいるでしょう。でもさまざまな制約からなかなか有効な策が打てない。テクニカルな面から言えば、この子の死はおそらく未然に防げたはず。
    例えば私でしたら、こういうケースでは双方を呼び出して話を聞くなんてことはしません。そんなことしてもなんにもなりませんから。今回のケースであればさしずめ
    (1)事実確認と証拠の確保。この結果として被害生徒の訴えの裏付けが取れたら
    (2)被害生徒と加害生徒を物理的に隔離して被害の継続を阻止し、
    今回のように悪質な場合は
    (3)確保した証拠と共に司法当局への通報&引渡し
    となるでしょうね。本気の対応を見せることで被害生徒の心の救済になると共に他への見せしめにもありますし。でも今の学校組織にこういうやり方ができるかというと・・・ムリでしょ。

    現在の教育現場のルールは「子供はホントはみんな良い子」「対話で解決できない問題はない」という“おとぎ話”の上になりたってます。「(体罰にしろ司法の介入にしろ、特に加害者側の)子供の将来に悪影響を及ぼすようなやり方は許されない」という考え方も根強い。
    こういう状況で本当に効果のある手法を取ろうとすると、このちょっと前で散々言ってきた「ルールを越えざるを得ない場面」に直面せざるをえない。そして教育現場にいる人の大多数はそんな「馬鹿なこと」をするには賢すぎます。

    知らないこと、なかったことにしてれば問題視されることはないんですから、下手に手を出さず時間の経過に任せる(そのまま卒業してしまえばもう関係ない)という選択をしても不思議はありません。
    加えて加害者側に立っている生徒も「先生たちは何も出来ない」ということをよっく理解してますし、周りで傍観してる生徒たちもそれは同じ。そりゃやりたい放題。

    現状いちばん酷い目に遭うのはルールを理解し守ろうとする子供たち。彼らだって可能であればやられるままでいたくなんてないでしょう。
    「こんな無法が許されるはずがない。きっと誰かがあいつらを懲らしめ、自分を守ってくれるはず。」
    そう信じて本人は頑張るわけですが、現実には誰も守ってくれないし助けてもくれない。中にはつい最近の事件でもあったように、本来守ってくれるはずの教師が先頭に立っていじめてるなんてケースもあるわけで・・・。

    どんなに将来に希望を持っていても、こんな状況が延々と続けば心が折れてしまっても仕方ありません。

    この子達を「死なせない」ためには、具体的で即効性のある対策を、学校や教師の裁量を超えたレベルで、システムとして整備しなければならないのではないかと思ってます。
    残念ながら今の時点ではまだ、そういった動きは見られませんけど。

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