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日本に本当に必要なのは・・・

戦争を避けるために本当に必要なもの - 朝鮮日報

麻生太郎外相や自民党の中川昭一政調会長の核保有論議容認発言への批判(というより非難)が延々と続いています。いつもの共産・社民だけでなく、最大野党である民主党の鳩山由紀夫幹事長までもが加わって罷免罷免の大合唱。本来“議論することが仕事”のはずの国会議員が、“議論は大事”と言っただけで進退問題になる今の状況って、どうなんでしょうね。

これは安倍政権の悲願である憲法改正についても同じこと。改正に必要な国民投票の詳細を決める法律の審議についても野党陣営はその議論そのものを拒否しているわけで、もう何のための議員なんだかよくわからない状況。そもそも憲法で定められた手続きに関する法律が存在しないこと自体がおかしいわけですよ。憲法が完全に機能するための法体系そのものが欠陥を抱えたまま放置されているわけですから。

とにかく特定の話題については“議論すらまかりならん”という現状。ここは本当に民主主義の国なのかと疑いたくなる状況です。まあ世界には「党の方針に反対の国民など“存在しない”んだから、党は当然民意を代表している」という形式の“民主主義”もあるようですから、共産党や社民党の言う“民主主義”とはそちらのタイプなのかもしれませんが。

でもそんな論調に異を唱えるマスコミが見当たらないというのは困り者。朝日新聞のように積極的に政府批判に邁進しているところを除外しても、大方のマスコミはそういう“議論そのものを否定する主張”には無関心。もちろん現状では小難しい議論より“平和”だ“反戦”だと御題目を唱えている方が読者受けはいいでしょうから、商業紙としてやりやすいのはわかります。でもそれで本当に報道としての役割を果たしていると言えるのでしょうか?

というところで冒頭の朝鮮日報の記事

韓国も北朝鮮との関係で日本と同じような状況にあります。ただ違うのは、韓国の場合は盧武鉉政権自身が悪化する国際情勢の中を押して北朝鮮に対しての宥和政策を続けているところ。日本で言えば自民党と野党連合が入れ替わったような感じです。

盧武鉉大統領の「戦争か平和のどちらを選ぶのか」 「それなら戦争しようとでもいうのか」といった発言や「平和を最高の価値とみなし、関係を調整していくなら、われわれは平和を損ねることなく十分にやっていける」という言葉は、まるでそのまま日本の社民党や共産党の発言と変わりません。そして言葉通りであれば全く「ごもっともな意見」。

でも日本と違ってずっと北朝鮮との緊張状態を続けている韓国ですから、経験の蓄積は日本の比ではありません。理想と現実の違いがわかる記者も当然いるわけで。

記者は過去の歴史を例に挙げながら「戦争を恐れて避けることばかり考え、消極的な態度をとり続ければどんな結果をもたらすのか」を説き、「武力衝突を覚悟の上で行った強行作戦で北朝鮮の艦艇2隻を撃沈したが、それ以上の戦闘の拡大はなかった」例を挙げながら、「戦争は戦争を準備する者を避け、戦争を恐れるに忍び寄る」という格言で記事を締めくくっています。実に説得力がある批判記事です。

朝鮮日報はその政府批判記事によって東亜日報と共に青瓦台から締め出しを食らっています。でも記事はいたってまとも――というか、説得力がありすぎるんで締め出し食らっちゃったんでしょうけど。政府批判の記事でもどこぞの新聞のように意味不明な揚げ足とりではありませんし、そして何より真の意味で愛国的な記事が多い。

振り返って日本のマスコミはどうでしょう?日本で目にする記事といえば政府批判は反日(というより売国)思想的な目線からのものばかり、それに対抗するのは“批判の批判”みたいな内容ばかり。実質的な議論はどこかへ行ってしまって互いに中傷ばかりしてる感じが否めません。

なんだかんだ言っても世論形勢にもっとも影響が大きいのはマスコミ。そのマスコミのレベルがワイドショーとかわらないのであれば世論もまた行き着くところはワイドショーなみでしかありません。今の日本に本当に必要なのは、くだらない枝葉末節に噛み付いてお茶を濁すのではなく、もっと本質的なところまで斬り込んだ報道が出来るマスコミなのではないでしょうか。

※それにしても民主党の凋落振りは酷すぎ。本来なら自民の対抗勢力に投票したいところなんだけど現実問題として政権任せられる政党って今のところ自民党しかないじゃん。まるで究極の選択。勘弁して。

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